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万人の知恵CHANNEL【第12回】倫理経営を考える_親の否定は自己否定 〜親から受け継いだ個性を活かす〜

インタビュアー:万代宝書房代表 釣部 人裕氏
ゲスト:(一社)立志財団理事長 坂本憲彦氏

収録:2019年9月6日

釣部:はい。皆さんこんにちは。万代宝書房『万人の知恵 倫理経営を考える』第三回目の時間になりました。今日もメインゲストに、坂本さんに来ていただいております。よろしくお願いいたします。

坂本:はい。よろしくお願いします。

釣部:ギャラリーの皆さんも、たくさん来ていただいております。よろしくお願いいたします。収録一回目、二回目、話していまして、結局ね、金儲けだけではない、志を立てるという事を松下幸之助先生から教えていただいたという中で、それを伝える立志財団を立ち上げたと。

親との間で自分の思いがあって子の起業と。じゃあ、坂本さんの場合は、これが繋がっている訳ですよね。立志財団というのが自分の志で、要は「人の志をサポートする」のが私(坂本)の志という。

坂本:そうですね。はい。

釣部:それを企業経営にまで高めるというか、利益を稼げるところまで持っていくというのが坂本さん、の自分の志であるという。そこに至るにはどうなるか。これがですね、私たちがやっている勉強会、私たちは(東京都倫理法人会内の)城北地区、豊島区(倫理法人会)なのですけど、(その地区で)『倫理経営の実践』という冊子が発刊されまして、これに坂本さんが載っているのですよね。

坂本:ありがとうございます。

倫理経営実践を持つ釣部

釣部:こういう形で載っていますので、豊島区(倫理法人会のモーニングセミナー)に、来ていただければ、「これ頂戴!」と言えば、数量に限りがありますけど、お渡しできますので、ちょっと残り少なくなってきていますので、是非、今月中くらいに来ていただければ、これを差し上げる事はできますので。

朝6時半、木曜日ですね、池袋に来たり、あと、私(釣部)の、タイムラインとか、Facebookとか、問い合わせて貰えれば、詳しい事を教えます。これを読んでいますと、坂本さんの立志塾の事があって、お母さまとの事が書かれているのですね。

坂本:はい。

釣部:ちょっともう20分フルに使っていいので、お母さまと今ご自身の立志塾との関係をお話しいただければと思います。

坂本:そうですね。はい。私がやっている起業塾、6ヶ月間の起業家の育成のプログラムなのですけど、この中でも親との繋がりというのをすごく大事にしていまして、第二回収録の時に話しましたように、親と繋がるってすごく大事で、僕「親の否定は自己否定」とよく言っているのですけど。

釣部親の否定は自己否定。

坂本:はい。

釣部:結構、親を否定している人いますよね。

坂本:はい。大分多いのです。

釣部:多いですよね。

坂本:はい。僕も昔ね、その否定というのをしていましたし、やはり、ただ、親を否定しているとですね、結局それって残念ながら、どんなに嫌な親でも、半分ずつ父親と母親から血を貰っている訳じゃないですか。

なので、結局、無意識で「自分を否定してしまう」という事になるのですよね。半分血を貰っていますから。なので、親を否定していると結局は、自分の本当に持っている、本来持っている力という物も発揮できないというところ。

それがあって、やはり親をちゃんと受け入れるというのが、すごく大事だなと思って、この立志塾の中でも親子関係のところ、すごくやるのですけど、親を否定して、「親みたいになりたくない」と言って起業しようとする人というのも、結構多いのですよね。

なんか親みたいになりたくなくて、自分は自立するのだとか。そういうマイナスから来たエネルギーというのは、長く続かないのですよね。もうちょっとわかりやすい例で言うと、例えば、「子どもの時いじめられていたから、それを見返したいので、自分は成功してやる」みたいなのとか、「貧乏だったので金持ちになる」みたいなの。ね?

それが悪い訳じゃないのですけれど、その辺のエネルギーって初速は良いのですね。最初のスタートダッシュは良いのですけれど、長くそれが続けられるか、5年・10年・20年・30年と続けられるかというと、どちらかというと、マイナスのエネルギーというか、悪く言うと恨みのエネルギーみたいな感じなので、それでずっとやっていると、やはり苦しくなってくるのですね、人として。

それが、心にくるか体にくるか、どちらかにきてしまうという場合が多いのですけど、なので、どこかでプラスのエネルギーに変えていかないといけないというか、本当に自分がやりたいというエネルギーですね、こちらに変えていく必要があるのですけれど。

その中で、一番の原点になってくるのが、「親みたいになりたくない」というエネルギーを「親みたいになりたい!」と思えるかどうかというところが、一番究極形かなという風に僕は思っているのですね。なぜ、これを思うようになったかというと、母親のところというのが、やはりすごくあるのですけれど、僕自身母親と完全に断絶をしていたのですね。

この理由というのが、母親は僕が子どもの頃に、鬱病というのを抱えていまして、小学校1年生の時に亡くなったのですけれども、結果的に、あとでわかったのですが、母親が自ら命を絶っていたという事ですね。

そういう母を見ていて、僕は自殺というのは知らなかったのですが、お母さんが普通の人じゃないという事は知っていたので。

釣部:4歳・5歳ぐらいからで、小1という事は6歳ですよね?

坂本:7歳ですね。

釣部:じゃあ、その2~3年で薄々。

坂本:そうですね。お母さんが1日トイレに入って出てこないとか。

釣部:えー、はい。

坂本:僕と姉とお母さんの3人で出かけて、お母さんだけが先に家に帰っているとか、そういう事があったりしたので、まあ普通じゃないなとは思っていた訳ですよね。そういうのを感じている中で、母親が亡くなって、僕の中で出てきた感情が何かというと、「お母さんみたいになっちゃいけない」という感情なのです。

僕の中で母親というのは、弱い人というイメージだったので、「母親みたいに弱い人になっちゃいけない。僕は強い人にならないといけないんだ! 」という事を思っていまして。これが僕の起業のエネルギーの原点だったのですね。

釣部:うーん。

坂本:「強くなるとは、何かな?」と思った時に、何かお金持ちになればいいのかなと。僕はケンカも別に強いとかじゃなかった、気も弱かったので、じゃあ、お金持ちになろうと。じゃあ、「そのためにはどうすればいいんだ?」と思った時に、社長になればいいのかなという単純な発想だったのですね。

それで、いつか自分で何かやりたいと思って、そういう起業の勉強を。大学に入って、銀行に入って、自分で独立したという。それが一番の原点だったのです。

釣部:(勤め人時代の職場の)上司を見ても、「このままで行けば、ああなるぞ!」と。そうすると「お母さんのようになるかもな」というのが、今振り返るとあった?

坂本:そうですね。はい。

釣部:その選択の原動力としてはあったという事ですね。

坂本:はい。その時は、でも、僕もわかっていた訳じゃないのです。無意識でそっちを選んでいた。やはり「強くならないといけない」というのをすごく思っていまして、起業していったのですけれど、それでね、事業としても一時期はそこそこ売上も増えて、一応年商も5億ぐらいまで行ったのですけど…。ただ、その時って僕、どうならないといけないと思ったかというと、「経営者って強くあるべき」と思ったのです。

僕、すごい経営者って「何でもできるスーパーマンみたいな人が、すごい経営者なのだ」と思ったのですね。今思えばレベルは低いのですけど、僕は、ちょっと小器用な部分があって、何でも器用にできてしまう、卒なくできてしまう部分があるのですね。

それで、なまじっか、ちょっとうまくいっていたので、周りの人にもそれを強要するようになるのですよ。自分が何でもできたので、じゃあ、「お前も何でもできるようにならないといけないぞ!」と部下とか、生徒さんとかにもそういう指導をしていた。

釣部:ある程度オールマイティー的な人を、あとは、自分のコピーのような人を作ろうと。

坂本:そう。作ろうと。それをしていると当然、そんな人はいないので、できない事がみんな一杯あるので、そこで、やはり反発を一杯いただいたという形ですね。それで、社長を一回辞めるとなって、丁度その頃に父親も肺がんになって、1年ぐらい闘病して、父親が亡くなったのですね。

父親が亡くなった時に、僕感じたのが、自分の根っこがごっそり持っていかれる感じがしたのですけれど。僕、父とは離れて過ごして、別に普通に仲は良かったので、盆正月には帰っていたのですけれど、ただ、亡くなって感じたのが、自分は思っていた以上に、この父親の事を頼りにしていたのだなって感じたのですね。

釣部:ちょっと失礼ですけど、(お父さまは)再婚はされなかったのですか?

坂本:父はね、もうずっと再婚しなくて、母が亡くなってから30年間もずっと独身で。

釣部:特に(実家に)帰ってもお母さまの話をする事はあまり?

坂本:僕、父親とうちの母親の話した事ないのです。亡くなるまで。

釣部:お父さまもされないし、こちらも聞かない?

坂本:というか、僕はその時、自殺したとは知らなかったのですけど、お母さんが普通じゃなかったのは知っていますから、お母さんの話を家でしないというのが、もう普通だったのです。子ども心にそれは聞いちゃいけないというか、なんか聞く事でもないかなと思っていたというか…。

そういう父だったのですけれど、父が亡くなって心にぽっかりというか、ボッカリ穴が開いたみたいな感じで、根っこが根こそぎ無くなった感じがしまして、それで、親っているだけで自分にすごい影響を与えている存在なのだなというのに気づいたのですよね。

釣部:その時は、立志塾はまだ?

坂本:まだ、やる前ですね。だから、会社で一番きつい時ぐらいです。

釣部:きつい時で…。

坂本:だから、もう盆と正月がいっぺんに来たみたいな感じで、仕事も大変、プライベートも大変みたいな感じでしたね。

釣部:奥さまはその時はもう?

坂本:そうですね。いて、妻が結構支えてくれていたのは、本当にありがたかったなと思うのですけれど。そこから僕、自分の親の事を調べるようになってきたのです。それまでは、全然「親なんて関係ないよ」と思っていたのです、全然。父親も普通のサラリーマンでしたし、関係ないと思っていたので。そこから母親の事を結構調べるようになったのです。

釣部:調べるというのは、親戚の方に聞いたり?

坂本:聞いたりとかですね、あと、父が亡くなってからですね、父の遺品を整理していたら、母のアルバム、僕が見た事がない母のアルバムとか、母の写真とか、母が残していた家計簿とか、そういう物が出てきたのですね。

父が取っていたのですね。そういう物を見て、「なんかお母さんっていたんだなあ」という事をあらためて…。僕は30年以上、母親の事を全然調べるという事がなかったので。そこから母ってどんな人だったのかなというのに興味を持つようになった。色々母親の事調べていったら、自殺だったという事がわかったりとか。

それで僕は自分の人生を知る上で、母の人生を色々、その時から更に辿っていたのですけれど、そうしたら、「母の血をすごく受け継いでいるな」という事がわかったのですね。偶然なのですけど、母も銀行で働いていたのですね。

釣部:へー。それは知らなかったのですか?

坂本:知らなかったのです。僕、就職すごく悩んで銀行を選んだのですけれど、父は製鉄所で働いていましたから、全然技術系なので、金融系じゃないのですけど。だから、僕が銀行を選んだというのは、完全に母の血だなと思って。

で、色々聞いていたら、母も外の世界で、自分で何かやりたい人だったみたいで、母の叔父さんというのが、神戸の方でケーキ屋さんをやっていて、なんか40店舗ぐらいやっていたらしいのですね。

釣部:ふーん。

坂本:で、多分母もそういうのを子どもの時に見に行ったり、手伝いに行ったりしていて、自分で何かやりたかったのじゃないか?ただ、当時の時代性もあるので、女性がなかなか活躍するというのは、難しい時代で、できなかったのかな?というところがあるのだなと思って。

そういう話を聞いて、自分は母ができなかった事を、多分やろうとしているのだなと…。そういう新しい事を何かしたいけれどできなかった母の事。僕が今起業塾をやっているのも、そこで、母みたいな人を助けたいというのがあるのですね。

何かやりたいのだけど、どうしていいかわからないという人。ここをサポートしていく。その時に、もう一つ使う力が、僕はやはり「父の力」を使うというのが、すごく大事だなと思っていて。

父はサラリーマンだったのですけど、僕が子どもの頃、PTAの会長を小中高とやったり、地元のソフトボール協会の会長も20年ぐらいやっていたりとか、自治会長も十何年やったりとかなので、ボランティアですごく人の事を色々と世話する人だったのですね。

多分、そういう力をいただいているので、今、立志財団って75名ぐらいなのですけれど、こういう「組織を作って、みんなで一緒に問題を解決していく」というか、「一緒に発展していく」みたいな形をやっているのかなというのが、その辺が繋がった結果かなという感じですね。

釣部:じゃあ、まさにご両親のDNAというか、志を受け継いでいるという事ですよね。

坂本:そうですね。「感覚」ですね。そこが繋がると、やはり自分の中でも、「なぜこれをやっているのか」というのが自然になるというか、無理矢理こうしようとかじゃなくて、「あ、自分はこういう二人から命をいただいているので、こういう形になるのだな」というのが、なんか自分でも自然に納得するというか、無理をしていないという感じですね。

伝えなかった父の思いを知る時

釣部:ちょっと、もしかしたら失礼な質問になってしまうかもしれないのですけども、お父さまが再婚されなかった理由というのは、どんな風に思われているのですか?

坂本:そこも、僕は父親からちゃんと聞いた事がないのですけれど、でも、親戚の人から聞いた話、それは、やはり僕らのためだと言っていましたね。僕と姉がいたので。

釣部:新しいお母さんというのと馴染まなかったらとか…。

坂本:というところで…。あと、ただね、一個面白い事があって、父親が亡くなる3日前ぐらいに初めて知った事実があったのですけど、父親がね、実は再婚だったのです。結婚が2回目だったらしいのですよ。

釣部:はい。

坂本:一回目がなんか三ヶ月ぐらいで別れてしまったみたいで、その一回目の時には子どももいなくて、別れてしまったらしいのですけれど、二回目で僕のお母さんと結婚していたのですけれども、多分ね、一回そういう失敗経験しているので、「何か「もう結婚はいい」と思ったのかな?」という風に思うところもありますね。

釣部:お父さまは、お母さまがそういう起業なり、何か色々な事をしたいというのは、ご存知だったのですかね?

坂本:そこはね、もう全然わからないです。でも、どうなのですかね。色々親戚の人にも聞いたりもしたのですけど、子供産んだあとのそういう産後の不安定さ。

釣部:今で言う産後鬱みたいなのが?

坂本:鬱みたいなのが…。そういうののちょっと延長なのかもしれないですし。だから、そういう意味では父は僕に対しては、何も言わなかったですね、「何かやりたい」と言っても。言わないというか、基本僕がやりたいようにさせてくれるという感じだったので、もしかしたら、その辺は父も何か(母の)そういうのを感じていたのかもしれないですね。

釣部:でも、銀行に勤めるとわかった時って、お父さまは知っていますよね、お母さんの前職だという。でも、それも何も言わずに?

坂本:そうですね。普通に。別に応援・・・。

釣部:「ああ、そうか」と。

坂本:そうそう。そんな感じですね。でも多分、父は思うところはあったのかなとは思います。

釣部:何か聞けていないというのは残念な気もするし、聞けていない分、全部を託されているという気もしますよね。

坂本:そうですね。本当にそういう意味で、自分がこうやって無意識に選んできた物が、自分の好みで選んでいるつもりが、親の意思という物を受け継いで選んでいるのだなというのを感じると、何か自分って間違っていないなと思うし、自分一人じゃなくて親とかね、その上に繋がるおじいちゃんおばあちゃんとか、祖先とかから、力をいただいて今の仕事をやっているのだなというのを感じる事ができるなという形ですね。

釣部:まさに、我々が勉強している倫理経営※1という物ですよね。「どの職業に就くか」というのは、時代によって変わりますよね。その時代によって、無い職業とか、時代が変わればもっと新しく作られる物もあるし、衰退する物もあるだろうし。ただ、わかりやすいのは、先祖なり、親の思いをどう自分が受け継いで、どの形、つまり職業という形にして、社会に還元できるかという事ですよね。

坂本:そうですね。還元の仕方はさっき言った時代性があるので、時代に合わせて、今だったならばITを使うのか、今後だったらAI使っていくとか、多分やり方は色々あると思うのですけど、多分、誰かを幸せにしたいとか、誰かを笑顔にしたいとか、そういう思いみたいのは、受け継いでいけるのかなというところですよね。

釣部:素晴らしいですね。

坂本:いえいえ。

釣部:ねえ、皆さん。素晴らしい塾ですよね?(ギャラリーに向けて)

坂本:ありがとうございます。

釣部:それで、皆さんの中で、繋がらない方とかのサポートをしながら、志と経営を繋いで起業できるところまで、もしくは、起業したあともサポートをしているという事ですよね。

坂本:そうです。ここが繋がるとみんなすごいパワーが出るのですよね。

親先祖と繋がっているイメージ

釣部:それはそうでしょうね。

坂本:やはり、事業をやっている理由が自分の「個人的な理由」ではなくて、例えば、大人になってからの理由だと、社会人になってから、例えば、20年ぐらいの経験でやっているのが、それが、幼少期にいくとね、40歳の人だったら40年の思いになるし、これが、親の思いも引き継ぐと、一気に50年・60年・70年・80年の思いが、いきなり繋がってくるので、何か一過性のビジネスじゃなくなるのですね。

本当にそういう思いを受け継いだビジネスというのができるので、ちょっとやそっとでは折れなくなってくるし、考え方がすごくシンプルになってくるというか…。

釣部:なんか出会いも変わりそうですよね。

坂本:全然変わりますね。

釣部:何かそれだけで…。

坂本:いや、本当にそうなのです。

釣部:見ていてもそうですか?

坂本:もう本当にそうですね。そこ(受け継いだ思い)からちゃんと発信をしていると、良い人が集まってくるというか、変な、何か儲かりそうだから…みたいな、そういうのではなくて、本当に信頼されて人が集まってくるという形ですよね。

釣部:じゃあ、「儲けたい」というところから出た人でも、「志」というのを探っていって、カチッと音が鳴った時に、それで顔つきが一瞬で変わります?

坂本:変わりますね、やはりね。

釣部:自分史を辿って、話をしてという時に自分で、「あっ、だからこれなのか!」という時にはもう…。

坂本:確信がつかめた時というのは、表情も変わるし、あとみんな優しくなりますね。変なツッパリみたいなのが必要なくなるというか、自然体になれるというか、すごく感じますね。

釣部:坂本さんが「あっ、これがお父さんとお母さんからだ!」と繋がった時というのは、変な話、どこでどんな感じだったのですか?

坂本:僕は母親が自殺したというのは、ずっと知らなかったので、それを聞いた時が一番、もう人生における一番の衝撃でしたね。40歳ぐらい、3~4年前なのですけれど、姉と話している時に、姉からボソッと、「あなたにまだ行ってない事がある」と言われて。姉も数年前に知ったらしいのですけれど。

釣部:そうなのですね。

坂本:親戚のおばさんが、年齢を重ねて、ちょっとボケてきた訳ではないのでしょうけど、当然知っているものだと普通にポロッと言ったらしくて、姉もその時に聞いたらしいのですけれど…。それで、僕にまだ言っていなかったと言われて、それを教えて貰って。

でも、それを聞いた時は、僕もう本当、号泣ですよね。もう、生まれて初めて、多分あれだけ泣いた事は、人生で無いなというぐらいに泣いたというか。本当、母親に対する申し訳なさ。

僕、本当に30年ぐらいお母さんの事を一切考えた事がなくて、(母他界の)そのあとおばあちゃんが育ててくれたので、おばあちゃんが結構すごい人だったので、75歳から僕とお姉ちゃんを育てたので、本当すごくパワフルなおばあちゃんだったので…。

だから、お母さんの存在というのを、全然思い出すという事はなかったのですけれど、でも、それをずっと知らずに自分が、のほほんと生きてきてじゃないですけど、親の恩というのを全然知らずに生きてきて…。

でも、それで初めてお母さんが、そんなに苦しんでいたんだというのを知って…。でも、僕は別に虐待されたとか、そんなのは全然なくて、だから、本当に愛情というのを沢山貰って、生まれてきたというか、育ってきたのだなと思うので、初めてそこでお母さんに対して120パーセント感謝できたのですね。

心の底から感謝できて初めて受け入れられた。それで、以前「お母さんみたいになりたくない」と思ったのが、今は「お母さんみたいになりたい」と思えるようになった。それで、やはり自分の人生というのは180度変わった感じですかね。

釣部:すごいですね。

坂本:だから、何か「親ってすごいな」と思いながら。ただ、皆さんね、色々あるので、親子関係は…。

釣部:倫理法人会では、親と繋がるとか(教えています)、それは仕事の事だけじゃなくて、色々で、それで結果的に仕事にプラスになる事もあるし、夫婦が仲良くなるとか、自分と子どもの関係が悪いのは親との関係が影響していたとか、色々ありますけどね。この番組はね、仕事という切り口ですから、坂本さんはそれがバッチリ仕事に繋がっているという事ですよね。

坂本:そうですね。結局起業とか経営というのも、経営者の思いというか、概念みたい物を形にしたのが仕事とか、ビジネスという物になっている訳じゃないですか。

なので、その思いの原点というのが、どこにあるのかという事を知るというのはすごく大事ですし、それが、ちゃんと根っこと繋がると、現実世界も明確に変わって来るという事ですよね。

釣部:じゃあ、(立志塾の)生徒さんというか、起業家はその繋がる時期は、やはりそれぞれですか? すぐ繋がる人もいるし、それなりに時間がかかる方も…。

坂本:やはり人によって違いますね。タイミングがあるし、向き合おうと思っても、向き合いきれない人もいるので…。だから、うちはいつでも「長くサポートしていきますよ」という風に言っているのですけど。そこは、ちゃんと。でも、やはり向き合えた人はガラッと変わりますね。

釣部:倫理(法人会)では『涙の洗浄※2という言葉がありますけど、(倫理研究所創始者の)丸山敏雄先生がね、お母さんとの事で、それ(涙の洗浄※2)で全部愛されているという(気づき)で、「自分は間違っていた」と言ってね、そこから人生が変わるというように、坂本さんもその『涙の洗浄※2で…。

涙の洗浄イメージ

坂本:実感しましたね。

釣部:それを支えてきた、おばあさまや、支えたというかね、一緒にいたお父さまや。

坂本:いや、もう本当に母親に感謝できて、僕なんか本当に周りの人全部に感謝できるようになったのですよね。僕が、33年間母親が自殺したという事を、知らなかったというか、よく僕の耳に入ってこなかったなと思って…。むしろ逆にすごいなと思った。

誰かがポロッと言いそうなものですけど、誰も言わなかったのですよね。それは多分、やはりお母さんが守っていてくれたのかなと思って。

僕がそれを耐えられる年齢になったから、今自分がこの年齢の時に、このタイミングで自分の耳に入ってきたのだなと思ったので、それ以前の僕が聞いていたら、多分僕は耐えきれていなかったと思います。

だから、本当にタイミング良く来てくれた。それは、本当に周りの人から僕は守られていたのだなという…。本当に周りの人にも心から感謝できるようになったなという感じですね。

釣部:もし、お父さまが再婚されていたら、新しいお母さまとの思い出がそこに詰まってしまいましたよね。だから、逆にそれがなかったが故に、そこが空白というか空っぽだったので、30年の時を経て、バーッと(お母さまの本当の事が)入った瞬間に、一気に水が流れ込むように…。

坂本:そうですね。だから、本当に「父親にも感謝だな」と思って。再婚するチャンスがない人じゃなかったと思うのです、多分。亡くなったあとに、父親の遺品整理をしていたら、なんかちょっとラブレターじゃない、恋文みたいな物も出てきて、「そういう事もあるよね」と。色々人付き合い多い人だったので。

でも、だから、それを僕らのために、そういう風にやってくれたのは、本当に父親の愛情という事もすごく感じましたし、本当にそういう意味で、「僕は愛されてきたのだな」というのを、すごく実感できたなというところですね。

釣部:これが「無償の愛」なのでしょうね。だって、言わずにそれでわかるか、わからないかという保障なんかないじゃないですか。息子が(自分の思いに)繋がるかどうかは、わからない、繋がらなかったら自分の人生を棒に振る訳じゃないですか。

だけど、繋がった訳ですから、お亡くなりになってから、残す物をしっかり残して…。僕ね、最近「祈り」という言葉に反応するのですけれど、神様に祈るというのではなくて、お母さまの祈りと、お父さまの祈りみたいな。「息子よ、強くなってくれ…」みたいなね。

坂本:そうですね。その「祈り」というキーワードで今思ったのは、僕の父親は、やはり母親の供養はすごくしていたなと思います。自分の、多分、負い目もあったと思うのですけれど…。

うちは浄土真宗なのですけど、いつも月命日は、父親がお経をちゃんと上げていましたし、それを30年ずっとやっていましたから。それはやはり、本当に父親が、色々な思いを持って祈っていたというのがあるのかなと思いますね。

釣部:じゃあ、ある意味、そのお母さまの事がわかって、「涙の洗浄※2」が起きた時に、坂本憲彦の人生が始まったという…。それまでは、何か準備でしか…。

坂本:そうですね。本当に。

釣部:(準備とはいえ、)それはそれで凄まじい体験だったと思うのですけれども、本当の自分の人生は、その日をもってスタートして、形になったのが財団で。

坂本:そうですね。今の財団という形ですね。

釣部:その時のお金もご両親のお金を。

坂本:そうですね。父が亡くなって相続で少しお金いただいたので、そのお金をやはり次の世代に残していきたいなと思って、財団という形で300万円ぐらいですけれども入れて、そこからスタートさせたという形でやっているという形ですね。

釣部:だから、ちゃんと命のバトンを受け取っているという事ですよね。

坂本:そうですね。何か僕も形に残したいなと思って…。うちは子どもがいないので、この立志財団というのを僕ら子どもと思って、これを次の世代に残していく。

で、本当に何か自分がやりたいという思いを持っている人を、僕らがしてきたような、要らない苦労をせずに、苦労はすると思うのですけれど、もうちょっとね、シンプルに、本当にその人がやりたい事が自然にできるように、次の世代の人には、やっていって欲しいなと思って。

釣部:そうですね。僕はこの話もね、後世の人に残したい。万代宝書房はね、そのための出版社ですから、「人生は宝であり、その宝を人類の宝にまで高めて、歴史に残しましょう」と。「国会図書館に入れましょう」という事ですからね。それでこの出版社を立ち上げたので、是非この話もOKが出た時に、本にしたいと思います。

坂本:是非、是非。

釣部:これはね、このあとYouTubeにアップされて、ブログにもしていこうと思いますので、一応なんであれ、電子媒体上は残るので。それをね、今度、いつの日か紙媒体にもしたいと思います。

とっても良いお話を聞けて。今日は、坂本さん自身の事を聞いて、次回から、もうちょっと事業の話も聞きたいと思っております。

また、視聴をしている方で、ゲストで、(スタジオに)来たい方、来て一緒に坂本さんと並んで、もう、自分の事業(の悩み)を質問しちゃおうという方は、質問をして、自分の人生と繋ぐとかという事も(坂本さんに)アドバイスを貰いながら。

それで、宿題をやってくればね、1ヶ月後とか2ヶ月後にまた出て貰って、坂本さんの無料コンサルティングを受けちゃおうという事にもなるかと思います。

今日は本当に良いお話ありがとうございました。ギャラリーの皆さん、どうもありがとうございました。これで今日は終了したいと思います。ありがとうございました。

坂本:ありがとうございました。

【用語解説】
※1倫理経営とは【経】容易には変えない、動かないタテ軸を求め、それに根ざす事。タテ軸とは「道」とか「理」、すなわち時代が変化しても変わらない原理・原則、あるいは経営の理念や基本方針を指す。迷って方向を失った時に戻るべき、経営の原点でもある
【営】現実の状況に対して、どのようにしたら事業や物事がうまくいくのかの方策を考え実行する事。つまり、テクニックとか技術・技法は「営」に属する。

※2涙の洗浄とは、倫理研究所の創設者丸山敏雄が称した、頭での理解でなく、人間の本性、根底から人格を変容させ純化させる現象の例え。以下、「倫理の道標(https://founder.rinri-jpn.or.jp/vol_1/main35.html)」より引用
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涙にもさまざまな涙がある。怒りの涙や恨みの涙、悔し涙は、毒素となって体をむしばむばかりか、人をも傷つける。これらは、不幸に結びつく暗い涙といえる。
逆に、嬉し涙、ありがた涙、熱い涙は、幸福につながる良い涙の部類に入る。
なかには、泣くことによって内面が浄化され、人間性が一変する涙もある。
自分のわがままから発した暴言や冷たいひと言、心ない仕打ちが、どれだけ相手の心をひどく傷つけ、悲しく辛い思いをさせたことか…。その罪を懺悔する時、込みあげてくる嗚咽と慟哭。亡き父母の位牌にひれ伏して詫びる涙、また妻の前に身を投げ出し、時に社員に首を垂れる。子に詫びることもある。涙に明け、涙に暮れる日々。
こうした境地を、敏雄は「涙の洗浄」と称して、こう解説する。
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