万人の知恵CHANNEL【第26回】親と子の思いのすれ違い 〜縦につながる思いの法則〜
インタビュアー:万代宝書房代表 釣部 人裕氏
ゲスト:アーティスティックコミュニティ代表 工藤 直彦氏
山城屋 代表 花の木ランチ部経営 今井 淳一氏
収録:2019年11月18日
自分が父親から受け続けている思い
釣部:はい。皆さんこんばんは。万代宝書房、万人の知恵チャンネル「工藤直彦氏と語る!」の時間になりました。今日はゲストに工藤さん、そして今井さんに来ていただいております。ギャラリー、多くの方に来ていただいております。どうもありがとうございます。では、工藤さん自己紹介をお願いいたします。
工藤:はい。音楽事務所を経営しながら、哲学の私塾をやっています工藤でございます。よろしくお願いします。
釣部:よろしくお願いします。今井さんお願いいたします。
今井:はい。倫理法人会という会で昨期まで2期会長を務めました。新高円寺で飲食店を経営しております。今井と申します。よろしくお願いいたします。
釣部:よろしくお願いいたします。
先ほどですね、お父さまの思い、その無念だと思っていることを、自分が晴らしたいという思いが今井さんにはあると…。工藤さんの方から、果たしてお父さんはそれを望んでいるんでしょうかね?というお話がありました。その中で、今井さんがお子さまにどんな思いがありますかと…。
今井:はい。
釣部:お父さんのように、俺の無念を子どもに晴らしてほしいという思いがあるのか、ないのかというところから続けたいんですけれども…。
今井:わかりました。無念を晴らしてほしいかどうかという具体的な問いになると、特に晴らしてほしいとは思わないですよね。ただ、それにまつわる何らかの目標を持って、夢を抱いて行動することによる、そのプロセスで色々な出来事、ストーリーが発生すると思うんですね。
釣部:ということは、夢を持って生きるということはしてほしい。
今井:はい。そうですね。
釣部:さっきの話のポイントは、お父さまの無念だと思っていることを晴らしたいということですよね?
今井:そうですね。
釣部:でも、今のおっしゃったのは、それはないですよと。ただ、夢を持って子どもには生きてほしいと思っていますというのは、話が違いますよね?
今井:違いますね。
釣部:ちょっとその辺、工藤さん説明していただけますかね。
工藤:はい。カメラこちらお願いします。(収録では以下図をフリップで持っている)
自分の子どもに対する思い。親ってありがたいなと思うんですけれども、例えば、子どもが川か何かで溺れていたら、仮に自分が金づちだ(泳げない)としても、何も考えないで飛び込むのがたぶん親だと思うんですよ。ね?
例えば、ご結婚されている人は、自分の配偶者を考えてみてください。自分の女房が、自分の亭主が川で溺れている。自分は金づち。そうしたら、「頑張ってね。今助け呼ぶからね!」と叫んで、助けを予備には行くけど、自分は飛び込まないですよね? 配偶者に対しては、絶対自分は飛び込まない。助けは呼ぶと思うんですよ。そこまで人でなしではないと思うんだけれども。
だけど、自分の子どもであれば、自分が泳げなくたってとりあえず飛び込むよね。それは自分の命に代えても守りたいと思っているということだよね。たぶん親の愛ってそこだと思うんですよ。これは父性も母性もそこは同じようにあると思うんですよ。その自分が子に対する思いというのは、実は自分が父親から受け続けている思いなんですよ。だから、子に対する自分の思いを自覚したときに、親の思いがわかるようになるわけでしょ。昔からうまくできた言葉があってね、子を持って初めて親の気持ちがわかるっていうのは、このことを言っているんですよ。ね?
だから、親の無念を晴らしたいっていう気持ちはもちろんわかるし、でもそれってどうなのかなと。
何か日本史を見ると、仇討というのが昔あったんですよ。ね? 仇討ちをするというのは、あっぱれだと。国も推奨していたわけですよ。自分の親を殺した人間を仇討ちをするというのは、あっぱれな息子だと、娘だという言い方をするわけね。要は推奨したわけですよね。確かに世間からは褒められる。「すごいね」と言って、「いいね」と言われると思うんですけれども、どうでしょう?
親はどう思っているかなと…。「そんなことに使う労力やお金があるのであれば、もっともっとお前、自分がやりたいことあったんじゃないの?」と。何やっているんだよ」と思うのが親なんじゃないかな。
今井さんは自分のお子さんに対して、そのような思い、当然持っていると思うんですよ。自分の時間は自分がこうなりたいとか、ああしたいということに努力するために時間使ってくれたら、よく頑張っているなと嬉しい気持ちで見守るじゃないですか。
今井:そうか。
工藤:それをあまり自分の自己実現とか、自分のハピネスに関係ないようなことに、時間や労力を割いていて、そこに一生懸命になっていたら、「お前、そこじゃないよ」と言いたくなると思うんですよ、親心として。ね?
だから、自分の子に対する思いをよく考えてみると、自分の父親の子は誰? 自分でしょ。親の子は自分でしょ。同じ気持ちを持っているはずなんだから、あまりそこではないんじゃないかなと、僕は思うですよ。ただ、世間的に言えば、親の無念を晴らすために、俺頑張ったんですと。「おお!」とたぶん美談にはなる。
でも、その美談は、たぶん自分が世間から賞賛されて気持ちいい。ごめんなさいなんですけど、僕そう思いますよ。親はそこは求めてないんじゃないのかなと思うよね。
あとは、同じ考え方なんだけれども、子どもが自分にすることなすことを見たときに、自分が親にしていることを、見せつけられていると考えるべきなんですよ。
だから、自分が親にとって、良い自慢のせがれだったかどうか。ね? むしろ「もうちょっと何とかなんねえのかよ、お前はよ」と思われていたのかどうか。ね? 自分の子どもが自分に対してすること。「お前よくやっているね」と言えるのであれば、たぶん自分もお父さんが「よくやっているね、俺の息子は」と思ってもらえているの。
子どもが言うこと聞かなくて困るというんであれば、それは自分が親の言うことを聞かないのを見せつけられている。時間軸を超えて、本当に30年単位の時間のずれはあるんだけれども、それを見せつけられるの。
それを理解した人から、何か縦につながっていくの。先ほどね、前回の収録の分でね、個性(タチ)という話が少し出たと思うんですけれども、親から受け継いだ個性(タチ)を、十分に生かせられないと、なかなか人生ってままならないと思うんですよ。ね?
夢を描くのは良いですよ。でも、その夢というのと、自分の持って生まれた個性(タチ)というのは、一致してればいいんだけれども…。
これちょっと私の話で恐縮なんだけど、私は前回の収録で言ったように、音楽の仕事やっている。あと、部活ね、水泳が大好きだったので、スポーツが大好きだったので、体育会まで入ってスポーツ頑張ってたんですよね。
図らずも今日3人、全員体育会出身ですけどもね。本当に打ち込んで一生懸命やっていましたよ。だけど、私にはスポーツマンとしての個性(タチ)も、音楽家としての個性(タチ)もないんですよ。なんでかというと、うちの一族に、親とか祖先見ても、伯父・伯母を見ても、誰一人音楽家もスポーツマンもいないんですよ。ね?
だから、そこに個性(タチ)がないの。だから、そこの個性(タチ)のないところで、人一倍努力しても、良くて人並み。人の3倍努力してやっと人並みとかね。人の3倍努力してるのに人並み以下とかね。そういうことがあるわけですよ。
だから、前回言ったようにね、音楽の仕事させていただいていて、僕夢は叶ってますよと言いましたよね。弾き語りをしているようなお兄さんに憧れていた時代があるわけですよ。もう場末の喫茶店なんかでもいいんです。
そんなところで、毎週何曜日の何時から何時、誰誰さんが出演していますという形の、そういうコマを持った弾き語りの人ってカッコいいなとか憧れてたんだけれども、僕なれちゃったんですけれども、採算が合わないんですよ。ここがポイント。ね? だから、夢は叶うんだけれども、個性(タチ)がないことというのは、得てして帳尻が合わないところがあるんですよ。
今井:なるほど。
我が子には、夢を持って生きてもらいたい!
工藤:才能がないってね。自分の中で「水泳頑張りますよ」「テニス頑張りますよ」「ラグビー頑張りますよ」でも良いんだけれども。ね? 努力すれば、前の自分よりは成長できるじゃないですか。でも、スポーツって勝負事なので、必ずライバル、対戦相手がいるわけでしょ。
今井:そうですね。
工藤:対戦相手との比較になったときに、個性(タチ)がないところで努力するというのは、大体報われないんですよ。自分の中での比較であれば、できなかったことができるようになっていくというから、それは充実感あるんだけれども、誰か対者が出た時に、かなわないというのが待ってるわけですね。
だから、ここのところが個性(タチ)を生かすというのがすごく大事。ちょっと手前味噌なんですけれども、うちの工藤の一族というのは、学究肌なんですよ。勉強ができる人ばかりの一族なんですね。だから、そこに焦点を当てて私も努力・精進すれば、もうちょっと違った形になっていたのかもしれないけれど、それはどうでもいいやと思って、音楽やったりスポーツばかりやっていたんですね。
大人になって社会に出てきてから、哲学みたいの少し勉強していったら、たぶん勉強量というのは、人並みだと思うんですよ。だけれども、哲学の塾をやらせてもらえたり、講座をやるよと言うと、お客さんが集まってくれたり、要は単純に講演料がもらえる。そういう哲学でお話ができるようになっているわけですね。
これはどう考えても、私の中に流れている親・祖先から受け継いだ個性(タチ)を使っているんですよ。努力しなければ話にならないよ。だけど、その努力だって人並み以上の努力はしていない。人並み程度の努力しかしていないのに卓越できるというが、これが個性(タチ)ね。
だから、夢とかね、夢ではなくても目標とかでも良いんですけれども、何かそういうのを描くときに、自己の個性(タチ)というのを見つめてなさったほうが、成果は出るのかなというふうに思いますね。
釣部:今井さん、お父さんは飲食で、跡継ぎになろうと思ったんですよね。で、今、お父さまお亡くなりになって、今また飲食を始めたとしたら、個性(タチ)を引き継いでいるということじゃないんでしょうかね。
今井:まあ、そうですね。
釣部:お父さまは、わかりませんけども料理を通じて人々に幸せをとか、癒しをとか、ね? おいしい物食べると幸せになるじゃないですか。それを分かち合いたいとか思って飲食をやっていて、事情があって断念されて、ご病気でお亡くなりになった。
で、途切れた。でも、今井さんの中には、お父さまのその思いが残っていて、僕、お店何回か行きましたけど、やはりボルガライスもボルガカレーでもカレーでもおいしいし、食べると何か幸せになるんですよ。そこに今井さんの顔が必要なんですよ。今井さんの顔がないと、あそこはおいしくないんですよ。僕からすると。
ボルガライス
ボルガカレー
工藤:なるほどね。
釣部:というときに、今日の話聞いて、これがお父さんの求めていたことじゃないの? お父さんがもしやってほしいと断念したことは、土地ではなくて、今井さんが後継者になれなかったということが悔しいとしたら、今もう晴らしてますよねと僕は思ったんですよ。
今井:そこが先ほど子どもを見てどう思うかという質問とつながってきて、結局、まず2つあってですね。ひとつは僕が父親の土地を取り戻すみたいな夢、親父が喜ぶ顔が見たいというのって、たぶんに外を見ているような、周りから俺がそういうふうに言うとカッコいいように見えるんじゃないかみたいな。
そこそこ自己顕示欲が強い男なので、僕は。俺ってカッコいいだろみたいな。そういうような気分。夢を語るところにその良い気分が出てくるような、そんなようなところもあるんじゃないのかなというのは、僕、時々思うんですね。それがまず一個目ですね。
もうひとつは先ほど子どもに対してどう思うかという質問で、ちょっとそれは蛇足みたいな形になりましたけれども。何かひとつのことを追求しよう、もしくは求めよう、もしくはそれをつかもうと努力しようというプロセスの中で、必ず色々な成長とか、自分の違う面、それまで知らなかった部分というのが出てくることがあるんですね。
先ほどおっしゃった料理には、今井の顔が見えるというのは、僕がその父親の土地を取り戻すというのを夢だと思ってやることによって、たまたま出てきたことかもしれないですけれども、そういうような、副次的な作用というんですかね。完全に割り切ったものではなくて、何かをやると何か別のところから新しいものが出てくるという。そういう作用ってすごくあると思うんですよ。
だから、子どもが僕の仇討をしてくれることを、僕は望まないけれども、何かひとつの目標、それはたぶんに勘違いのようなものであったとしても。
釣部:その夢を持って生きてもらいたいという思いはあるということですよね。
今井:そうすることによって、結果的に違うところに行くかもしれないんですけれども、それが息子の人生を必ず豊かにする作用が出てくるんじゃないのかなと思うんです。だから、僕もそういうようなことは、ある程度やる前にたぶん、うまくいかないかもしれない。でも、そのプロセスの中で何かつかむものがあるだろうと…。
それを仮に、登記簿に俺の名前を書き込もうと思ってやったけどだめだったよと。でも、「こんなに楽しい人生を送れたのは親父のおかげだぜ!」と言えるというのは良いのかなと。
釣部:僕のこと言うと、僕も冤罪事件があって、結局20年ぐらい戦って、その師匠が有罪になって再審請求するとかの時に、「お前が冤罪だとわかっていれば、俺はもうそれでいい。できれば戦ってほしいけれども、晴らしてほしいけれども、できないならそれでいいよ」と。
でも、僕は20年やっちゃったんですよ。それはカッコいいとは僕は思わないけど、その無念さみたいなのをなんとか晴らしたい。僕は母親がわかってくれなかったから、母親にわからせたいって思いで、すごい本当に人生かけて頑張って、途中で工藤さんから「もういいんじゃないの?」とか言われても、「だめです」と言って、闘っていて。で、会長をやって、やり始めると、あれがあったから僕は支えられていたな。
だけど、もう強くなったよ。大丈夫よ、師匠ありがとねというのと、お母さんありがとねという思いになったら、母と和解が始まって、こないだ「あんたも頑張ってんのね。頑張んなさい、冤罪」とかって、逆言われて励まされてしまって、カクッときて、今まで反対したから揉めたのに、応援されたらどうしたら良いの、俺のバランスはみたいなふうになったとしたら…。
まさにお父さまの土地を取り返したいという思いがあったから、こうなったし、今はもう、その思いがなくても純粋に、飲食で個性(タチ)を引き継いでやって、息子さんというか、お子さんには、「夢を持てよ、お前!」と。
「お父さんはこうだったけどな」と言って、「もう終わったんだ。感謝してんだ親父に、悔しかったんだよね」と思うんだ。「でも、お前は自分の夢だけおってくれればいいから。俺はそういう夢だったけど、お前は自分の夢を追ってくれって」言うと、ひとつ終わりになるんじゃないですかね。
夢は、達成できるかどうかにはあまり価値がない!
今井:今、お話聞いていて面白いなと思ったのは、ちょっと本題とはズレるかもしれないんですけれども。何か目標を定めて、これは目標ですね、夢じゃなくて。それを達成しようと思って、もしこの目標を達成するんだったら、俺はこういうような手法で、こういうような時間と労力とお金をかけて、こういうふうにやって、たぶんそれを獲得するだろうというような、ルートを自分であらかじめ設定して、実際に実行して、そこを攻め込もうとするわけじゃないですか?
でも、大抵の場合、最初に計画したやり方というのは、破綻するんですよね、必ず。今もそうだったわけですよね。冤罪だということ、晴らそうと思ったけどうまくいかなかった。でも、最終的にそれを晴らすという目的は達成できなかったかもしれないですけど、僕の場合もそうかもしれないですけども、でも、もっと大きな何か…。
釣部:もう得ましたよ。
今井:…を得ることができる。そのきっかけを作ったのは、冤罪を晴らそうという動機ですよね。それって人生の中で色々な形で色々な顔して出てくることが多くて。だから、そう考えるとちょっと題とはそれるんですけど、夢とか目標とか希望とかというのは、それ自体に価値があるような気がするんですね。
そっちに向かおうとする。自分の心にバイアスかけちゃう、そっちの方向に。そのことに、価値があって、果たしてそれが達成できるかどうかには、あまり価値がないような。ように僕は今、思えるんですよね。
だから、あらかじめそれを知った上で、自分を演じるような形で、俺ってそれやるとカッコいいよなみたいな形で、それをただ周りの人を巻き込む時に、夢ってものすごく吸引力があるんですよね。
「俺はこういう目的のために、この夢を果たすために転職をして、58歳にもなってこんなバカみたいなことやってるんだって。燃えてるぞ、俺!」みたいな形で言うと、すごい吸引力あるんですね。そういうのもあって、やっているっていうのもあるんですけどね。
釣部:ちょっとまた時間になってしまったので、続きを次の三話でやりたいと思います。今日は皆さんありがとうございました。
今井:ありがとうございました。
工藤:ありがとうございます。
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