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万人の知恵CHANNEL【第5回】怒らない方法って? 〜「ああ、そうなんだ」の極意〜

インタビュアー:万代宝書房代表 釣部 人裕氏
ゲスト:アーティスティックコミュニティ代表 工藤 直彦氏

収録:2019年7月12日

釣部:皆さん、こんばんは。万代宝書房「万人の知恵CHANNEL」でございます。

ヒマナイヌスタジオでやっております。ギャラリーに多くの方に来ていただいております。皆さん、よろしくお願いいたします。(拍手)

メインゲストにはいつものとおり、工藤直彦さんに来ていただいております。

工藤:今日もよろしくお願いします。

釣部:自己紹介をお願いします。

工藤:はい、工藤直彦と申します。音楽の仕事とか、哲学の塾とかやらせていただいております。よろしくお願いします。

釣部:はい、よろしくお願いいたします。

ちょっと前回から引き続いてのお話になるのですけれども、僕のある師匠から、有名というか、「古典」という言葉を使うと変ですけど、「いい映画、いい作品は5年とか10年に一回見ろ!」と言われたのです。

その理由は、「自分の成長が見えるよ!」と言われたのです。5年前には気が付かなかったシーン、見えなかったシーンや台詞が、5年後に「あ、こんなこと言っていたんだ…」と分かるから、「定期的に5年とか10年の間で見たら、自分が深まっていることがわかるよ」と言われたんですけど、今、万人幸福の栞※1
も読んでいると、何か「ああ…」と思うところと、「全然分からない…」と思うところと、急に、「ああ、このことか!」と分かるところがあると思うのですけど、その辺やっぱりそうですね、当然のごとく。

工藤:そうですよね。5年ごとと言わず、日によっても違うかもしれないですね。何か自分がすごく、「今イケてるなあと思う、何か幸せだな、ハッピーだな。俺今頑張っているな」という時と、「何かいいことないかな」と思っている時じゃ、同じものを見ても感じ方が変わりますよね。だからそれはありますよね。

釣部:あと「体で読む」ということも聞いて…。まず目で読む、頭で読む、体で読む。

工藤:あと、「声に出して読む」と、発声も使うし耳も使いますからね。

釣部:「体で読む」ということは、それと似たような体験をして、もしくは体験があって、「このことか!」とつながるという感じですかね?

工藤:そう、ですかね。

釣部:これ(万人幸福の栞※1)を読んでいて、衝撃的な体験とかってありますか?

工藤:この本に関しては、これが衝撃というよりも、自分の困ったこと、自分の身に降りかかっている苦難というのですかね。それの「解決の糸口がここにあった」という感じで、それが衝撃といえば衝撃なんですかね。そういうのはありますよね。

釣部:だから要はこれって読んでいても、その価値は、「知らないよりは良い」という…。

工藤:いや、僕は知っておいた方が絶対良いと思いますけどね。

釣部:あとはそれをどれだけ実行、実践できるかで、大分変わってきますよね。あと、私欲(我欲)とか私心みたいなのって、「なくなればいい」とは、理解しますけど、やっぱり(私欲私心を)思うじゃないですか。

工藤:思いますよね。

釣部:どうやったら減る方向に向かうのですかね、これ。

工藤:実を言うと僕、「若い時からあまり丸くなるのってどうかな?」とは思っているのですよ。20代、30代で、お勤めの方でもいいのだけど、世間に出てきて自分を売り出していく時に、やっぱりちょっとガツガツした部分とか、よく言えば覇気みたいなのがないと…。

若い人であまり丸く収まっちゃっていると、何か伸びしろを感じなくないですか?(笑)

だからちょっと「とっぽい」くらいが若い時はいいのかなとは思うんですよね。ただ、いい年をしていつまでもとんがっていると、逆にみっともないかなというのもありますよね。だからその基準になるのがやっぱり我欲だと思うのですよ。

例えば若い時は、「もっとお金が欲しい」とか、それが長じてくると、「足る分だけあればまあいいや」と。自分の家族と周りの人たちが経済的に困らない程度に潤っていれば、これで幸せなんじゃないって、「足るを知る」みたいなのが分かってくるじゃないですか。

でも若い時は、幾らでも欲しいですよね。きりがないぐらい欲しいですよね(笑)。これはお金だけじゃなくて、例えば名誉欲とかもそうですよね。名前が売れたい、有名になりたいというのは、やっぱり若い時ってある程度は考えると思うのですけど、いい年して「俺が!俺が!」と前に出ようとすると、これまた、みっともないですよね。次の世代の人たちをセットアップする側に回っていかないと、恥をかいてしまうと思って。だから年代によるところもあると思いますけどね。

釣部:これが論語の「四十にして惑わず」(四十而不惑)とか。

工藤:「吾れ十有五にして学に志ざす。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」(子曰 吾十有五而志于学 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而従心所欲 不踰矩)というやつですよね。やっぱりそうだと思う。

あれ世界の偉人の孔子の人生なので、孔子ほどの方でやっと「あれ」なので、ねえ…。私ども凡人はもうちょっと「後ろ」じゃないかなと。だって15ぐらいの時に学に志していました?

釣部:(笑)

工藤:何も考えていなかったでしょう?

釣部:受験があったから勉強しただけですね。

工藤:それは受験の準備をしたというだけで。

釣部:学問じゃないですよね。

工藤:志していないしね、そもそも。30にして立つというのは、自立の時というのですけれども、大体のことが自分でできるようになったという意味だけれども、私なんか今年55になるけれども、まだ「何か自分でちゃんとできているのかな?」と怪しいところありますからね。でも、その年代年代というのはあると思いますね。

釣部:「我儘」というのは。

工藤:我欲ね。我欲とリンクしていると思いますよ。

釣部:何なのですか? 当たり前過ぎて、当たり前ですけど…。でもちょっと、世間の言う「我儘」と違いますよね。

工藤:そうですね。私心のある人とか我欲の強い人、エゴイスティックな人というのは、例外なく我儘ですよね。我儘って

我儘と書く工藤直彦

 

「我儘」これで「わがまま」と読むわけですよね。これ「ままならない」の「まま」ですよね。この世のことはままならぬことばかりじゃないですか、実は。それを我のままにしたい心を「我儘」というらしいのですよ。

例えば、本当に我の儘にならないって、みんな自覚していなくて、本当に全てのことが我の儘になるのであれば、自分が歩けば、信号は全部青にならなきゃいけないし、自分がホームに降り立った瞬間に電車入ってこなきゃいけないし、自分が電車に乗り込んだ瞬間、前の席がちょうど空かなきゃいけないじゃないですか。そうはいかないでしょう?だから、「ままならないこと」の付き合い方だと思うのですよ。

だからままならないこととの付き合い方が下手だと、なかなかこの世を渡っていくのは苦しいですよね。世間でいう我儘な人というのは、この我の儘にならねば承知せぬ心をそのまま表現なさっちゃう方。

釣部:要は「うるさい」とか。

工藤:そうそう。あの人我儘だよねと周りからうしろ指さされているような人は、我の儘にならねば承知せぬ心をそのまま、ありのまま表現しいるのですよ。でも、世間でいう「あの人、人柄いいよね」とか、「あの人いい人だよね」と言われるような人たちも、我の儘にしたい心って絶対多かれ少なかれ持っているでしょう?

でも、それとの折り合いを付けて、ここで我の儘にしたい心を表現してしまうと、周りに迷惑をかけてしまうと思うから、ぐっとこらえるわけですよ。我慢するわけですよ。要は我儘しないということ。

だけど、これって我の儘にならねば承知せぬ心を持っているという点については、自分勝手な立ち居振る舞いしちゃう人も、我慢して暮らしている人も一緒でしょう?

この我の儘にならねば承知せぬ心を持っている状態が、実は私たちを非常に難しくしてしまう。何度も起こり来ることを、素直に「ああ、そうなんだ!」「そう来ましたか!」「そうですか!」と受け取って生きていける人であれば、楽に暮らせるじゃないですか。

釣部:そう思えれば楽ですよね。

工藤:でも結構ありますよね。例えば、言われもないことを言われると腹立つじゃないですか。「何でそんな話になってるの?俺そんなこと一言も言ってないし!」とかなるじゃないですか。そんな時、「ああ、そうなんだ。あの人は陰で私のことそう言っているんだ」と言えるかどうかですよね。

釣部:あと、(陰口を)感じなくするかですよね。

工藤:感じなくはなるのかな?やっぱり受け取り方を変えるしかないんじゃないですかね。受け止め方を、「ああ、そうなんだ」と。起こりくる物事を、そのまま、ありのままいったん受け止める。「違うだろう!」みたいな感じでやらないで、いったん受け止める。「ああ、そうなんだ」と受け止めていくと、怒りの感情とかいら立ちとかは起こりにくくなってきますよね。

受け止めるだけ!
しかし人はそれができない!

釣部:それは、「あの人はそうなんだよね」と思うのとも近いんですか?

工藤:そうでもないですよ。起こっていることをただ単に受け止めるだけ。

釣部:自分が、「ああ、むかつくんだな、俺は、このことを…」と。

工藤:でも、むかつく感情のもっと手前の話。あの人は私のことをそう見ているんだなということを、そのまま受け止めるだけ。

「あの人は陰で私の悪口を言いたかったんだな」と受け止めるだけ。だったら、「面と向かって言えないんだ、あの人は」と受け止めるだけ。それというのは、例えば歩いている時に、ちょうど信号が赤になったとするじゃないですか。「ああ、赤になっちゃった」というのと同じぐらいの次元で考えればいいわけ。それだけのことでしょう。

釣部:近い人ほど難しいですよね。要求したくなるというか。

工藤:近い人ほど、「分かってくれている」という錯誤があるんだよね。分かってくれていないからね。

釣部:親とか奥さんとか子供とか…。

工藤:そうそう、家族とかね。本当に…。

釣部:「お前には言われたくない。分かっているだろう、俺の思い」みたいな。

工藤:でも、分かっていないからね。

釣部:結構、他人でも分かってくれている人がいたり…。

工藤:でも、本当に分かっているのかな。同じ人って2人いないじゃないですか。似たような考え方の人はいますよ。それで気が合うねっていうのだけど、そうやって付き合っていくうちに、合わないところが見つかってくるじゃないですか。

そうすると、「何だ!あいつ」となるわけで、「自分と人は違うんだ」ということをまず理解することから始めないと、我欲とかエゴとかなくならないですよね。

私、音楽の仕事をやっているので、よくこういう例え話させていただくのだけど、和音ってあるじゃないですか。「ド・ミ・ソ」で和音1つね。「シ・レ・ソ」でもいいのだけれども、これは「ド・ミ・ソ」が揃うとハーモニーというんですよ。みんなで同じ音階、音程の歌を歌うのをユニゾンというのですね。

違う節回しとか、違う高さで歌うのはハーモニーというんですね。ハーモナイズしていると心地よく聞こえるじゃないですか。でも、全部違う音ですよね。このハーモニーをつくればいいのです、人間関係において。でも私たちは得てしてユニゾンであるとことを相手に強いるのね。

だから例えば自分が「ド」という音を出していて、「ミ」という音が聞こえてきたら、これに「ソ」という音が加わったら、「もっと気持ちよくなるよね!」と言えればハーモナイズドできるのに、「俺が「ド」と言っているのに、てめえ何「ミ」を流してやがんだ、この野郎」と怒る人が多いのですよ。

ハーモニーを奏でる

音楽だったら多分、みんな間違わないのに、人間関係では、意見が違っただけで腹が立つ。違うことと協調していく、調和していくということが大事じゃないですか。だから我欲みたいな、私心みたいな物をそぎ落としていくと、自分と違うものとの協調、自分と違うことに対する共感力が上がってくるのですよ。

同じものに対して共感するのは当たり前ですよね。「ああ、一緒!一緒!気が合うね」「俺も同じこと思っていた!」となるのだけれども、同じ人なんてなかなかいない、というか、ほとんどいない。多分双子でも違うと思うので…。

だから違うものに対して共感力を発揮するということができないと、我欲とかエゴとか私心とか、なかなかなくならないと思いますよ。

釣部:それをなくそうとか、共感しようとまず思うことから…。

工藤:だから、「自分と違うんだ」ということをありのまま受け止めていくということ。

釣部:「その努力をしよう!」と思い始めて、できる時とできない時と。

工藤:正直、努力も何もなくて、「ああ、そうなんだ。僕とは考え方が違うんだ」ということを受け止めていく。

私、こういう例え話もよくするのだけど、バッターとキャッチャーの違い。とんでもないボール、どんな球でも、「受け止めるよ!」と決めている人と、どんな球でも「打ち返してやろう!」と決めている人がいるわけですよ。「打ち返す」タイプの人が多いのですよ。

どんな球でも、一回「受け止めますよ!」暴投だろうとワンバウンドだろうと、ひどい球でも一回「受け止めるよ!」と決めている人と、どんな球でも「「打ち返してやろう!」と思っている人、どっちが付き合いやすいかというと、答え1つじゃないですか。

どんな球でも「「受け止める」と決めている人の方が付き合いやすいでしょう?受け止めた上で、その飛んできた球がどういう球なのか確認して、相手の捕りやすいところに投げ返してやればいいわけじゃないですか。でもみんな、ほとんどの方って「打ち返そう」と思っていますよね。

釣部:打ち返しますね。

工藤:自分の価値観と合うものだけを「受け止め」て、違うものは「打ち返そう」としている。でも、そうじゃない。自分の価値観とも違うものですら、いったん「受け止める。」そういうことをやると、いい感じになってきますよね。

釣部:今思い出したのですが、僕昔少年野球の時、キャッチャーだったんです。だから「受けるしかない」という…、どんなボールでも受け入れるという…。

工藤:とにかく受けるしかないでしょう?まず受け止めるということ。受け止めてしまうと、意外とそれで完結しちゃうでしょう?受け止め切れなかった後に、「おかげでランナー進んじゃったじゃないか!」とかいう話になるんだけれども、受け止めてしまえば、もうそれで完結するじゃないですか。だから受け止めればいいのですよ。

釣部:この間、「ああ、そうなんだ」が1個できた。本を出していて、著者の方とやりとりをして。原稿の中身について言われる分には、まあ当然ですよね。修正していって良いのですけれども、何か「ホームページのデザインがどうとかこうとか…。」あと、いろいろな、違う方からも言われたんですよね。「いや、それ、あなたから言われなくてもいい事だと思うんだけど」という事を…。

工藤:そうだよね。「あなたに言われる筋合いない!」と思っちゃう。

釣部:と思って、前ならそこでカチンと来たんだけど、「あ、ここだ!」と思って。心の中で、「ああ、そうなんだ」と言って、「どう思われたんですか?どうしたらいいと思いますか?」と聞けたのですよ。そうしたらまたアドバイスをくれるわけですよ。で、また聞いて、「そうですね」と言って、「これはシステム上、できないのです」とか、「これはこうなんです」って、3回ぐらい返していったら、「ありがとうございます」とか…。

工藤:何かいい感じになったでしょう?(笑)

釣部:「素晴らしいですね!」とかって言われて、僕にとっても初めての体験に近くて。良い人との間では、そういう事があったのですけど、ちょっと(相手から)責められてくると、僕は跳ね返すか憂えるかなんですよ。

工藤:なるほどね。

釣部:戦うか、いじけるかだったんですけど、今回はどっちでもないのをやって…。その時はやっぱり、「本を何とかして出したい」という思いと、「期日に間に合わせてあげたい」という思いですよね。

相手は業界のことを知らなかったりする場合が多いので、「ああ、知らないんだな」と。「知らない人に腹立ててもしようがないな」というのと、教えるのも大変だったら、「今は大変なので、1週間待ってください」と言って、1週間待って、そのことが終わってから対応すると、待ってくれたりしたのですよね。

で、最後、お褒めの言葉をいただいて、「ありがとうございます」と言われて、「これでありがとうって言ってもらえるんだ」と思って。で、僕も「ありがとう」と思ったんですよね、やっぱり。厳しい指摘だったけど、そこを直すことでいいことに。

工藤:そうですよね。相手もよかれと思って言っているケースが多いですからね。

釣部:ですよ。何か、つぶそうと思ってはいないのですよね。ただ、自分のペースで自分の言いたいように言うから、こっちが…。

工藤:「何だよ!」って思っちゃうだけでね。

釣部:ストライクゾーンが広ければ、一杯受け止められるし…。それも私心というか、「ああ、そうなんだ」と言えばいいだけだよ、と言えば一言で済むのですけど、それができなくて、日々困っているんですけれども…。

じゃあ、ここで収録2回目終わって、次、「ああ、そうなんだ」から続けていきたいと思います。

工藤:「ああ、そうなんだ」。

釣部:では2回目、どうもありがとうございました。皆さん、ありがとうございました。

工藤:お疲れさまでした。ありがとうございます。【拍手】

※1 【万人幸福の栞】とは、倫理運動の創始者・丸山敏雄が、長年の研究と数多の実践・体験を通して抽出した17カ条の読本。時代や国やところの差を問わず、宗教の如何を問わず、職業に拘らず、何時、どこでも、誰でも生活上の根本法則として行えて、道徳の実行と幸福の生活がピタリと一致する法則が抽出掲載されています。

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