◆「健康」と「健康そうに見える」こと
「健康」というのは「健康そうに見える」というのとは異なる。
「健康そうに見える」とは、どういうことなのか。
歯に何か白いものを塗って笑ったとき、それがきれいに見えたからといって、あの人は健康そうだと思うのは、自由だけど、健康そのものとは異なる。
マニキュアや頬紅や口紅もまたそうであり、髪型やスポーツシューズもそうすることによって、健康そうに見える人もいるかもしれないが、その人が健康かどうかとは無関係である。
しかし、現実には腕時計であれ、ボールペンであれ、ベルトや靴までも、いや、体につけるもののほとんど全てが、スポーツタイプと呼ばれる商品で満たされており、なぜそれがスポーツタイプなのかは知らないけれど、スポーツタイプ=健康そうに見える、という憧れであり。そう思っているのではないだろうか?
それほどまでに、私たちは「健康そう」になりたいのか?
「健康そうに見える」ていけば、ついには「健康そうになる」とでもいうのか。そう思っている人など一人もいまい。
ではなぜ、そうするのだろうか?
なぜ、みんながみんな健康思考なのか?
健康思考を続けていれば、ついには健康になるとでも思っている人が、実際に一人でもいるのだろうか?
それでは、なぜそうするのか?
健康になりたいからである。
しかし、健康そうに見えたり、健康思考にあったりしたことが、健康になることとは無関係である。
これだけはわかっていなければならない。
厳密にわかっていなければならない。
健康になりたいという、国民の健康思考に煽っているのが、健康テレビ番組、健康雑誌なのである。
いくら健康思考を煽ってみても、国民は、健康になることとは無関係なのである。
健康になりたかったら、宿便出して、かみ合わせ調整して、生野菜と食べて、サラダ油をやめて、糖分をやめて、変なお菓子をやめて、よく寝て、太陽浴びて、ストレスを減らして、家族と仲良くしていけばいいのである。
